好き⇄無関心を改めて考える
鏡に向かったり、岩盤浴でボ〜ッとしてたりすると、ときどき考えてしまいます。
「目を開いたときのおでこのシワどうにかならんかね」
「左側だけ上がった口角どうにかならんかね」
「左右で大きさが違う目どうにかならんかね」
「横顔のメリハリのなさはどうにかならんかね」
ってな具合に。主に自分の容姿に関するネガティブなこと。
自分のお気に入りなところももちろんあるのですが、ふとした時に思い浮かぶのはネガティブなことになりがち。
学生時代から自己肯定がとても苦手でした。
うまくいったときはたまたま。できなかったときは自分を責める。他人と比べる。
そんなもんだから、努力して成功を味わうといった自分を肯定する努力から目線を逸らし続けてきました。他人のいいところは山ほど見つけられるけど自分のいいところは探さない、みたいな。
ここ2年くらい、うまいこと自分と向き合い、自分の良さを見つけ、過剰な他人との比較をしないように過ごしてきたつもりです。「自分を好きになるための活動」ですね。
その甲斐あって、自分のいいところを見つけられる、この領域は本当に自信がある、多様性を認めるというような兆候を感じることができるようになりました。
しかしながらそれは、「自分の苦手なところ」をさらに浮き彫りにする副作用もありました。
照らす明かりを強めたら、影が濃くはっきりなるように。
より鮮明になった「自分の苦手なところ」を好きになるのはなかなか難しいです。精神的な面は改善が期待できますが、ルックス的な面は尚更。
美容整形は否定するわけでもなく、「鏡見るたびに自分のパーツにうんざりする気持ち」がチャラになるのなら安いもんだと思っています。が、親から授かったものにメスを入れるのはちょっと気が進みません(個人の意見です)。
そんな行き場のない淀んだ気持ちが、いくつかの断片的な体験と思考の積み重ねによって寛解に向かっています。
# 無理に好きになる必要なくね?
元も子もないけど確かにそうな気がすること。「苦手なところを含めた自分のすべて」をわざわざ好きになったり、嫌なことでクヨクヨ悩んだりする必要ないのでは?と思い始めました。というか、自力解決が難しいことに時間を費やすほど人生は暇でないぞ星野という気持ち。
そんな思考に至った幾つかの出来事を書き出してみました。
# 1. 退屈なことは◯◯にやらせよう
某エンジニアの方であれば伝わるかもしれないこの語感。
私は料理が好きでファッションが好きです。いちご大福が売っていなければ自分で作るし、暇さえあれば古着を探します。
しかし、食器洗いと洗濯干しが本当に苦手です。
食器洗いが嫌すぎて料理からちょっと離れてしまったり、洗濯した後干すのを躊躇って寝てしまい、次の日また洗濯機のボタンを押したりします。
そんな私は最近食洗機とドラム式洗濯機を買いました。
「人生が変わった買い物!」みたいなまとめでよく挙がる2つ。この威力は凄まじかったです。
ボタンを押すだけで皿が綺麗になり、ふわふわのタオルが出来上がります。大切にしたいシャツもいい感じに洗い上がり、干せばアイロン入らずな状態になります。
「そんなものにお金かけて楽しようとして〜」的な意見もあると思いますが、時間は有限。まして苦手な事に時間を投じるのは浅ましさすら感じるようになりました。
苦手なことに直面するたびにうんざりし、克服しようと努力するよりも、そこに目線を向けないように仕組みを整えて、やりたいこと・好きなことに集中する方がよいと確信しました。
# 2. 「普通」という言葉の不完全さ
待ちに待った、セックスエデュケーションの新シーズンが公開されました。
あまりにダイレクトなネーミングのため当初見るのを躊躇っていたのですが、学びの多さに毎回びっくりさせられます。
「高校を舞台に、性に関するセラピストを母親に持つ青年がその豊富な知識を活かして高校生の悩みを解決していく〜!」という趣旨のこのドラマには、セクシャルマイノリティな人々が多く登場します。最近はLGBTQIAと呼ばれることが増えましたね。
「セクシャルマイノリティ」とは、同性愛者や両性愛者、トランスジェンダー、性同一性障害など、性のあり方が少数派であることを意味する言葉。日本語に訳すと性的少数者で、ジェンダーマイノリティやLGBTなどとも言われる。
このドラマを見ていると「普通」という言葉の不完全さを思い知ります。「普通」という言葉は人と人とを比較した時、そしてマジョリティがマイノリティを諭すときにしか登場し得ません。マイノリティにとっては「普通」という大衆によって生み出された幻想が自分の悩みの種になっています。
このドラマの登場人物に、「自分がゲイであることをまだ認められず恥じている子」がいます。
その子を見ていると、「普通」というよりも「自然」に振る舞うことの素晴らしさを感じます。
その人にとってそれが自然であるのなら、それを貫くべし。
そんな思いを抱くようになりました。
# 3. 今日着たい服を選ぶということ
明日はこれ着る、明後日はこれにしよう!って時々考えながらセルフファッションショーを開くわけですが、「当日になってやっぱこれにする!」なんてザラにありますし、ゾーンに入ったら同じ服を連続で着ることもあります(清潔は保ちます)。
今一番着たい服をやめて別の服で出かけるのがもったいなく感じてしまいます。
「今自分が着たい服を着るのが許されるのならばそうするほかない」という所存です。
わざわざ気分でない服を選ばなくてもいいじゃんという気持ちが、心の余裕を生むようになりました。
「無理に好きになる必要なくね?」という気持ちに至ったきっかけを書き出してみたわけですが、そういう類の考えが実際に用語としてあるようです。
# ニュートラリティ
主に自分の体型を指して「ボディ・ニュートラリティ」と呼ぶそうです。
私がやろうとしていた「自分を好きになる」ことは「ボディ・ポジティブ」。
それに対応する形で「ボディ・ニュートラリティ」という言葉が登場したそう。
「外見や体型へのコンプレックスを受け入れ、自分の体を愛す」というボディ・ポジティビティに対し、「ポジティブになれなくても大丈夫」という考え方を提唱する「ボディ・ニュートラリティ」が、最近では注目を集めています。
全てをポジティブに変換して捉えるよりも、あるがままに受け入れることも大切だとこの記事を読んでうなづけました。
自分のコンプレックスに対して負の感情を持ち続けることと同様に、肯定感を持てない自分自身を許せないことも、セルフ・イメージやメンタルヘルスにダメージを与える可能性があるとのこと。
この部分も納得。マイナスからプラスに変えようとするエネルギーは時として自分に負荷となってのしかかることもあるよなあと感じます。
こういう考えに至ったきっかけは自分の体験によるものなのですが、こういう考えが世間に広まっていることについて安心感を覚えました。
「弱い自分から逃げるな!」「自分のことなんだからとことん追求しろ!」という言葉はもちろんあると思いますが、自分のことは自分がよく知ってるぞ!と思えるくらいには向き合ってきたつもりなので、うまいこといなしてゆけたらという所存です。
# 自分に対する「好き⇄無関心」
「好きの反対は無関心」というワードは恋愛系の話で出てきがちだと思うのですが、自分自身にも当てはめていいと気づきました。
自分を認められない、好きになれないと悩んでいる方々もいらっしゃると思います。「ニュートラリティ」という考え方が、そのような方々の手助けになることを願いつつ、今週のニュースレターはこの辺でお開きにしようと思います。
# 来週は、転職しましたよもやま話
最近転職しました。その周辺での感情を整理したいと思います。
転職悩んでいる人、若い人らの頻繁な転職があまりよく理解できない人に是非読んで欲しいなあと思っています。
今週もここまで読んでくださりありがとうございました。
また来週お目にかかりましょう〜👋
このニュースレターでは「明日もっときれいでありたい」をテーマに、凛とした人でありたい27歳エンジニアが、毎週木曜日に美容やコスメの話をお届けします。
新着記事をメールで受け取ることができるので、よければ購読をお願いします。無料です。
すでに登録済みの方は こちら