[番外] じーへ。祖父への手紙
じーへ
いまでも脳裏に焼き付いているのはあーちゃん(祖母)の葬式での挨拶です。
それまでじー(祖父)といえば、六三(近所の酒屋)でお酒を飲んで、スーパーカップバニラを食べて、お腹出して寝てる、やさしいけどちょっと頼りない印象でした。
そのじーが葬式での挨拶をあんなに立派に勤め上げているのをみて本当にびっくりし、そして誇らしい気持ちになりました。
あーちゃんの葬式。あんなに人が集まると思っていなくて、あーちゃんもじーもみんなに愛されていたんだな、頼られていたんだなあって知りました。
ちゃらぼこ(地元のお祭りでの和太鼓隊)が出発するのもじーの家。いつもみんなの真ん中にいたよね。
思い返してみると、あーちゃんが死んでから、じーが声を出して笑っているのを見た記憶がほとんどありません。よっぽど寂しかったんだと思います。
それなのに、数えるくらいの時間しかそばにいることができず、会おうと思えば会えるのに、じーがいるのが当たり前なぼくにとって「じーに会いにいく」ということをそれほどしませんでした。
ぼくが大学生になってから蒲郡に帰ってくると、駅まで迎えにきてくれて、丸亀に行ったりうなぎを食べに行ったりしたよね。
じーの知り合いに会うと、そのたびに自慢げにぼくのことを紹介します。恥ずかしくて「もういいよ〜」っていうんだけど、あのときのじーの嬉しそうな顔が忘れられません。いまだったらいくらでも話してほしいのになあ。
じーはぼくに怒ったことなんてありませんでした。どこでも連れて行ってくれたし、顔を見ればお小遣いをくれたし、いつもぼくの味方でした。
2人でナゴヤドームに行って、山本昌がコテンパンに打たれて、当時の弱小広島に14-1で負けたりもしたし、難波に吉本を見に行って、帰りは電車を間違えながら大阪から京都まで鈍行で出て、そこから新幹線に乗せてくれました。楽しかったね。
海が近い横浜に引っ越したので、コロナが落ち着いたら来て欲しいなあと思っていたのですが、かなわずに本当に残念です。
そういえば、じーが声出して笑っているのを見たのは、正月に麻雀をした時かな。普段じーの友達と使っている雀卓を、孫が囲んでいるのが嬉しかったんじゃないかな?
麻雀も強かったし、将棋も一度も勝てたことがありませんでした。観察眼が素晴らしかったんでしょう。いつも褒めてばっかりだけど、お年玉袋の裏のじーからの言葉はぼくに足りないことが書かれています。ちゃんと見てくれてたんだなあって。
だからこそ、町の総代を歴任し、その後も地域のみんなに頼られていたんだと思います。そのみんなに最後に会わせられなくてごめんね。こういう状況じゃなかったら、目一杯の人が集まって賑やかな最後になったんだろうなあと思います。
あーちゃんもいなくなっちゃったし、チャチャ・チャイム(ともに飼い犬)も、古き友人もどんどん先立っちゃうし、寂しかったよね。やっとみんなの元に行けると思うとちょっと安心です。驚くほどきっぱりやめたお酒やタバコ、ファッションもまた楽しめるようになるね。
久々にあったじーは、想像もつかない姿になっていてびっくりしました。
それでも、物言わぬじーが最後に教えてくれたことがあります。
それは周りの人間を思いやる気持ちを持つこと。
こういう状況で親族が集まるきっかけを作ってくれたのもじー。
残酷だけど、人は簡単になくなってしまうことを教えてくれたのもじー。
ぼくは、父さん母さんが死ぬなんて本当に想像もつきません。身近な人がいなくなるのは辛いです。
でもそうやって人は生き続けるんだと実感します。
親から子へ。命のバトンはたしかに存在します。
息をしなくなったじーがまだ生き続ける方法は一つ。ぼくらの記憶の中で生き続けてもらうこと。やさしくてちょっと頼りないけどかっこいいじーは僕の中で生き続けます。
いままで本当にありがとう。
今年の4月に祖父が他界しました。
毎週木曜にお送りしているニュースレターですが、直接伝えることができなかったこの気持ちを、恐縮ですがここでシェアさせていただきます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
すでに登録済みの方は こちら